湘南ロードライン

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関西本線全線乗車

7月21日から3日間、青春18きっぷで行ってきました。
今回、全線乗車した関西本線は、JR難波から名古屋までを結ぶ路線で、同じく難波から名古屋までドライブで行くときの定番ルートである名阪国道、東名阪道とほぼ並行しています。

元々は明治時代に関西鉄道という私鉄が運営していた路線で、名阪間の距離としては東海道線経由よりも近いので、関西鉄道時代は国鉄東海道線と壮絶な過当競争が繰り広げられたそうです。競争は運賃やスピードだけに留まらず、弁当までサービスする有様だったとか・・・。
しかし、日露戦争突入に伴い、軍事輸送に使うため国鉄に吸収されて、そのまま国鉄→JRになりました。
山や急カーブが多いためスピードアップができず、改良の余地がない事から名阪間の輸送については東海道線にシェアを譲り、現在は地域密着型のローカル線として運行されています。



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まずJR難波をスタート。
難波から加茂までは別名として「大和路線」という愛称がつけられていますが、あくまで愛称で正式名称は関西本線です。この区間は電車6両編成で、駅設備も立派なのでローカル感は全然ありません。



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加茂駅で電化区間は終わりなので、ディーゼル気動車のキハ120系に乗り換えます。線路も単線になり、ローカル線の旅を予感させられました。



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乗務員室と客室は完全分離されておらず、バスみたいな半室でした。エンジンはいい音たててました。ちなみにトイレは加茂側にあるので、乗るなら加茂→亀山方面が良いと思います。トイレが邪魔で景色が見えないのでね。



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山の中では雨に降られて写真が上手く撮れず残念・・・、山を抜けて平野に出たら雨はやみました。
線路は単線ですが、この区間は関西鉄道時代からあまり変わってないようで、中には一部のトンネル構造物が明治時代からずーっとそのままで、関西鉄道の社紋が入っているのだとか。



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亀山で気動車の旅は終わり、ここから終点の名古屋までは再び電車になります。会社もJR東海に変わります。しかし、線路は単線で電車も2両編成だったので、ローカル感がありました。
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| 鉄道 | 18:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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今期の青春18きっぷ

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今回の青春18きっぷには、乗車区間を記入して駅員に提出する券がついてました。もちろん任意ですが、一日中列車に乗っているオタの乗車区間をこの狭い欄に記入なんてできるんでしょうか。

行き先ですが、今回は東北のほうに行ってみたいと思います。青森の八戸線は8月から新型車両が導入され今年中に国鉄キハ40系を追い出す計画なので、今のうちに乗っておこうと思います。
年式の古い車両は他にもありますが、大半は冷房取り付け改造をして、内装も張り替えてボロさを感じさせないようにしているのが普通ですが、八戸線の気動車は製造時から殆ど手をつけておらず、冷房装置なし、扇風機のみ、夏は窓全開という、まさに昭和の遺物そのままの状態で運用されているので、とても貴重です。

| 鉄道 | 21:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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3月の青春18きっぷ

今シーズンの青春18きっぷ旅は、3月8日から11日にかけて行ってきました。

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桜井線105系の連結面にあるプレート。



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どこかの駅で買った、沿線名物の「柿の葉寿司」



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京都に向かう103系に乗ったら、先頭の車番が225の編成に当たって、どこかで覚えのある番号だと思って調べてみたら、やはり元山手線の車両でした。奈良線と山手線は色が同じですが、一部の車両は山手線から転属した車両も含まれているという事で、調べたことがあったんですね。1973年3月の製造で44年も経ちますが現役です。オレが生まれる前の、見たことない昭和時代の東京を走り回っていたという事ですね。


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伏見稲荷大社に行きました。テレビアニメで聖地化もしてるのでね。
稲荷山全体が境内のようで、道には鳥居の連続トンネルがあり、鳥居一つ一つを見ると新品からボロボロまで様々でした。一本道ではなく、いくつか分かれ道があって全部歩いたら数時間はかかると思うけど、これだけの数の鳥居を整備するのは相当大変だと思います。登るだけでもヒーヒー言って引き返す観光客が多数ですが、登った先の見晴らしは素晴らしかったです。

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湘南電車の歴史

国鉄電車の塗装として、オレンジと緑の「湘南色」が全国的に流行りましたが、近年では廃車や新塗装への塗り替えが進み、残り僅かとなってきました。今回は湘南電車の特集です。


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80系電車(1950~1977)
1950年に東海道線で運転を開始した80系電車が湘南色の始まりで、当時の茶色一色の旧形車両が多数を占めていた中では異彩を放ち、注目されました。当初は東海道線の湘南地区を中心に運転された事から、この派手な電車を人々は「湘南電車」と呼ぶようになり、湘南電車と言えばこの80系でした。しかし、後年には関東だけでなく関西や中国地方など、本州を縦断する形で配置されたため、もはや湘南の電車とは言えない気がします。
各駅に停まる普通列車のほか、当時の特急と同じ所要時間で運転する準急列車(別料金)でも使用されました。ただ、機関車牽引の客車と比べると依然として居住性に劣るため、東京~大阪のような長距離列車ではあまり用いられませんでした。1977年に東京口での運転を終了したあとは、一部が飯田線に転属して細々と運用されてましたが、これも1983年に引退して国鉄線から全廃されました。
このオレンジと緑の配色の由来は色々な説があり、「沿線(主に静岡)の名物みかんと緑茶にちなんだもの」という説明がJR公式からされていますが、一方で80系の塗装を決める際にアメリカのグレートノーザン鉄道を参考にしたとも言われています。


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153系電車(1958~1981)
載せられる写真がwikiになかったので鉄道模型で代用。1958年11月に、80系で運転されていた準急「東海」「比叡」と、東京から伊豆方面に行く「湘南準急」を引き継ぐ形で登場しました。80系と同じく、普通列車としても優等列車(別料金)としても使用できる車両として開発され、東海道線の幅広い運用を担いました。普通列車の運用もある一方、居住性の面では従来の客車を上回ったことから、ついに東京~大阪の長距離に(機関車付きの客車ではなく)電車として本格的に運転される事になり、急行「なにわ」「せっつ」として東京~大阪の運用を担いました。さらに1962年には、東京~広島に急行「宮島」が設定され、電車急行としては最長の894.8kmを記録しました。
しかし、1964年に東海道新幹線が開業すると、在来線の長距離列車は大幅に削減され、以後は地域密着型の短距離運転が中心になりました。関西地区では乗車券のみで乗れる「新快速」が1970年から設定され、この153系が担ったため、153系=新快速というイメージを持つ人もいるようです。関東地区では113系とともに普通列車のほか、踊り子の前進である急行「伊豆」等も担いましたが、踊り子用の新車185系や、普通用に追加で導入された113系によって次第に置き換えられ、1981年に東京口の運転は終了し、1982年には西日本からも引退して全廃しました。80系のように地方へ転属される事はなかったため、国鉄線からは80系よりも1年早く全廃しました。



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165系電車(1963~1996)
外見は153系と瓜二つで、構造や車内設備もほぼ同じですが、新開発の高出力モーターを搭載した車両としてこの165系が開発されました。東海道線では153系を補完する形で運用されてましたが、1982年に153系が引退するに当たり、元々は153系と共同運行だった急行「東海」と「大垣夜行(ムーンライトながらの前身)」を165系に一本化する形で引き継ぎました。車両数自体はそんなに多くなかったため、東海道線ではあまり目立たない存在でした。東京口の定期列車としては1996年に引退したものの、その後も臨時列車で運転されたようで、私としては1999年に修学旅行の貸切列車として乗ったのが、最初で最後の165系乗車になりました。2003年に全廃。



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113系電車(1963~2006)
活躍期間を見てもわかる通り、東海道線の普通列車として長年に渡って運用された主力車両です。登場こそ1963年であるものの、長期間に渡って大量に製造され、1982年の153系引退に際してもこの113系が新車として追加導入されたため、2000年代に入っても大量に残っている状態でした。
普通列車に特化した設計のため、片側3ドアという混雑に対応した仕様になっていますが、一応は優等列車での運用も考慮したのか、車内に座席番号が表示されています。そして、稀にですが「大垣夜行(ムーンライトながらの前身)」の増便で165系が足りないとき、この113系が運用に入って東京から大垣まで行った事もあったそうです。(元々、大垣夜行で使用してきた153系を113系で取り替えたために起きた現象)
JR初期は東京発、浜松行の普通運用もあったようですが、徐々に短縮され、地域ごとに発着地点を設定するようになったため、18きっぱーなど長距離の移動では頻繁な乗り換えを強いられるようになりました。
2006年に東京口から引退するに当たっては、「湘南電車の引退」と報道され、JR東日本も「さよなら湘南電車」という観光パンフレットを作成するなど、この113系を80系から続く「湘南電車」として呼称する風潮がありました。
湘南地区からはもう引退してますが、湘南色の113系自体は本州全土に配置されたため、現在でも群馬県の高崎地区や、西日本の京都地区、岡山地区でこのカラーリングの113系(と115系)が走っています。



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ちなみに、113系の後継車両である211系は、銀色車体に湘南色の帯を巻いている事から、これを「湘南電車」と呼ぶこともできますが、やはり一般人の間では、湘南電車と言ったら上記のように車体全体をオレンジと緑で塗装した電車という認識になっていると思うので、211系をはじめ現行のE231系やE233系を湘南電車と呼ぶのは無理があるかもしれません。
一部の関係者やマニアがいくらそう呼称しても、一般人に浸透しなきゃ意味がないですからね。

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謹賀新年 新潟18きっぷ旅

世間では年末年始と言ったら、大掃除、年賀状と大忙しでしょうが、私は部屋狭くてそんなに物置いてないし、年賀状送る相手もいないので、いつもと変わりません。
なので、12月31日のコミケが終わったあと、そのまま秋葉原へ行きました。
大晦日という事で多くの店舗が閉まってますが、カウントダウンを迎えるためか、秋葉原としては日曜日並みの人混みでした。
ラノベ、コミック、フィギュア、グッズを見回りながら時間調整したあと、上野19時23分発の高崎線快速アーバン号で高崎へ向かいました。青春18きっぷ旅行です。



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熊谷から先は、相模線と同じくドアの開閉はボタン扱いになりますが、大晦日で荷物を抱えた旅行客が多く、ボタン式ドアに慣れてないようで、駅に到着するたびに自動で開かないドアの前で立ちすくむ人が続出しました。しばらくしてからボタンに気づいたり、他の人が横から押したり・・・。

21時に高崎のビジネスホテルにチェックインし、お風呂がないので近くの温泉に行ったところで、悲劇は始まりました。
なんと営業終了・・・。慌てて他の温泉を検索すると、前橋にも温泉がある事がわかり、駅から徒歩2分と書いてあるので走ってギリギリかな、と思いながら即行で上越線に飛び乗ったものの、駅から迷ってしまい、4分遅れて駆けつけるも、もう終了だからと断られる・・・。

「おい!いくら18きっぷで無料とはいえ高崎から15分もかけて来たのに!というか、駅から徒歩2分じゃねーぞ?仮に迷わなくても、これ改札から歩いたら5分くらいかかるぞ?」

とは口には出さず、腹の中にしまいこんで、仕方なく温泉は諦めて帰ろうとしたら、次の電車は40分後の終電までないだと!?
前橋の温泉に入れてれば、30分くらい入浴して、帰りは終電で帰るというつもりだったのが、温泉に入れないまま帰る電車は同じという結果に。

アホー!!!

とは声に出さなかったけど、脳内で罵声が再生されました。これで1時間半くらい無駄に振り回されました。

というわけで、前橋駅の暖房付き待合室でリゼロの11巻を読み終わり、やっと来た終電は107系でした。
今回の旅の目当ては、引退の危機にある107系と115系の2車種で、107系については運用が調べられたので、本来は元日の上越線始発で107系に乗るはずが、大晦日にいち早く乗る結果になりました。乗ったの4年振りですが、これで明日改めて乗ったら、もうこれで最後かな?



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年明けて朝6時45分に起床して、高崎駅の改札横にある駅弁屋さんで弁当を買ったあと、始発、水上行の107系電車に改めて乗車。よく見たら昨日乗った終電がそのまま運用に入ってました。



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上越線の前橋から北を乗るのは初めてで、段々と山が増えてきて、列車はアップダウンを繰り返します。



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高崎支社の107系は水上で終点となり、ここから先は新潟支社の車両が担当なので、乗り換えが発生します。つい最近までこの区間は115系オンリーだったのですが、一気にこの新型車両に置き換えられて、上越線のこの区間では115系の運用は終了しました。という事でE129系の長岡行に乗車。



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荷物を抱えた旅行客が多いです。



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乗り換えて出発したあと、列車は山の奥深くへと入っていき、気が付いたら雪が積もってました。そして、雪が降ってきました。
さっきまで晴れてたのに、この天気の変わりようは・・・、でも積もってる雪を見ると、今に降り始めたのではなく、随分前から降っていたようです。


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しばらくすると、雲の切れ目から日差しが。こんな幻想的な風景は滅多に見られないですよ。



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屋根がないホームでは、雪を溶かすためのお湯(水?)をまく装置が設置されてました。クリックして拡大して見てください。



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終点長岡に到着後、信越線に乗り換えて新潟を目指しますが、ようやくお目当ての115系が来ました。つい最近まで新潟地区では8割り近くがこの115系で占めてましたが、新型E129系への置き換えはだいぶ進み、もう残りわずかです。
新潟に到着したら、駅前の少し高いそば屋さんで食事。年越しそばならぬ、年明けそばになってしまったけど、あつあつの美味なそばでした。
このあと、越後線、弥彦線を乗り継ぎました。残念ながら115系は当たらず、このあと水上まで乗った上越線も含めてE129系オンリーでした。



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水上から先の高崎支社区間で、やっと115系が当たる。塗装はオレンジと緑の湘南色で、2006年までは東海道線でも見れました。
高崎に到着後、また駅弁屋さんで買う。この駅弁、どうやら高崎の名物のようです。


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高崎からは上野東京ラインの一本で一気に神奈川まで帰りますが、2時間半近い乗車になるので、Suicaでグリーン券を買いました。特急券と違ってほぼ一律料金なので、長距離乗車をするならお得です。

というわけで、本年もよろしくお願い致します。

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青春18きっぷ2回目

青春18きっぷ2回目は、2泊3日で行ってきました。今回も関西旅行で、東海道線でひたすら西を目指します。
夜勤明けだったので13時に藤沢駅をスタートし、熱海まで移動。熱海から豊橋までは新幹線移動しました。
豊橋から313系の新快速で大垣へ、大垣から225系の新快速で大阪に到着。もう真っ暗なので1日目の鉄道旅はここで終了とし、大阪を歩き回ってお好み焼きを食べたあと、健康ランドのカプセルホテルで一泊しました。



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2日目
ここからが旅の本番です。朝4時に起きて健康ランドのレストランで食事したあと、また東海道線で西へ進み、山陽線の姫路まで直通で行きます。
余談ですが、JR西日本の管内では区間ごとに琵琶湖線、京都線、神戸線と呼んでおり、正式名称の東海道線では呼ばないようです。関東で言えば、東北線の東京~黒磯を宇都宮線と呼んでるのと同じでしょうか。



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姫路から播但線の103系に乗車。
2両編成ですが、103系は2両ユニット方式なので必然的にオール動力車ですが、モーターの限流値を調整してあるのか、加速は普通でした。寺前側の車両がノーマルのモーターで、姫路側の車両が高音タイプのモーターでした。
線路は単線で、のどかな風景を進んでいきます。運転士のみのワンマン運転なので、客室と乗務員室の仕切りドアは開けっぱなしで、運賃箱が置かれています。ドアはボタン式で、真冬の寒さのためか、乗客の間で「開けたら閉める」が徹底されていました。ちゃんと閉めないと怒られそう。



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甘地駅を発車してしばらくすると、スピードがどんどん上がっていき、かつての常磐快速線並みにモーターが唸り始めたので、運転台の速度計を見に行ったら、なんと100km/hでした。慌てて撮影した時点では少し落ちてしまったけど、103系の100km/h走行は10年ぶりに体験しました。
しかし、ローカル線でワンマン運転の電車が100km/h出すのは、かなり珍しいと思います。JRの場合、乗客が少ない地方交通線では線路の維持費を抑えるため、最高速度は直線でも85km/に設定されてる事が多いですが、スマホで調べてみたところ、播但線は110km/hの設定なんですね。



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寺前駅に到着。この先は非電化で、ディーゼル車のキハ40系が運用に就いてますが、本数の関係で帰りに問題があるため断念。乗ってきた103系で、そのまま姫路まで戻ることにしました。しかし、それでも発車まで時間があったので、駅の中とその周辺を散策。



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播但線103系の運転台は、かなり改造されてました。メーター類は新型車両並みです。帰りもさっきの区間で100km/h出してくれるかと期待したものの、90km/hで切られてしまいました。運転士によって違いがあるのかもしれません。



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次に、加古川線の103系に乗車。線路は単線、電車は2両編成で両方ともクモハ、ワンマン運転、ドアはボタン式という点は播但線と同じですが、こちらは田舎路線の例にもれず最高速度は85km/hに設定されてました。車体の色は青緑1号で、常磐快速線と全く同じ色です。高校性のとき常磐線に沢山乗ったので、この色には個人的に思い入れがあります。



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こちらも運転台は改造されてますが、加古川線では2両編成同士をつないで4両編成でも運転するため、先頭車に連結扉が設けられており、その関係で運転台がコンパクトです。



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西脇市に到着。加古川線はこの先も続きますが、これまた本数がなく、帰りに問題があるので断念。



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沿線の風景を見ながら加古川に戻ることにしました。

このあと湖西線の117系に乗車。夜だったので写真は撮らなかったけど、実は117系に乗車したのは人生初でした。
元々は東海道線の新快速用に製造され、現在の223系や225系、313系の先代に当たり、座席も223系等と同じく転換クロスシートですが、座席の前後ピッチが以外と広いことに驚きました。117系を新快速から追い出した後継車両よりも広く、新快速として長時間乗るなら117系のほうが断然いいと思えました。
姉妹車である185系なら、高校生のときから何度も乗ってるけど、やはり姉妹車とだけあって窓枠や、天井、蛍光灯カバーなど、同じ部品が沢山ありました。真っ暗なので景色が見えないのが残念。そのままビジネスホテルで一泊。



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3日目は、80系電車目当てで京都鉄道博物館に行きました。戦後、東海道線の長距離電車として、当時としては高水準の快適性を備えた画期的な車両で、「湘南電車」として親しまれました。
1950年から運用を開始するも、8年程で後継の153系が登場し、12年後には111系も登場したことで、東海道線としては10年ちょっとで運用を終了し、地方路線へ転属してしまいましたが、現在もJRに残る湘南色(オレンジと緑)のルーツは、ここにあるのです。



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さっそく入ろうとしたら、立ち入り禁止だと?他人様のブログでは中に入って座席にすわった写真とか見たのですが、いつからか立ち入り禁止になったらしいです、残念。



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仕方ないので、外から覗き込むだけに。座席の肘掛けが、現在もJRに残る113系等と共通する感じがしますね。
内装は木製で、後継の153系や113系と比べても高級感が出ている感じがしますが、当時は火災対策がゆるかった事情もあるかもしれません。床も木で作られています。



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デッキ部分。奥に見えるのがトイレです。



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クハ103-1です。
1964年製で、103系の量産車としては一番最初に製造された記念すべき第1号という事で、保存されたものと思われます。山手線、京浜東北線、大阪環状線、阪和線という経歴を持ってますが、特に大阪環状線には30年程在籍し、そのタイミングで国鉄民営化されたのでJR西日本に引き継がれました。他の量産車が30~40年程で廃車されていく中、なぜか廃車されず、現役の動く保存車として注目を集めていましたが、2011年でついに廃車になり、46年の歴史に幕を下ろしました。
国鉄時代にもし関西に転属せず関東に残り続けたら、JR東日本は廃車が早いので他の初期車とともに1990年代で廃車解体になった可能性が高く、JR西日本に引き継がれたのは幸いだったのかもしれませんね。



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その他の収蔵された車両も、ほとんどが車内の立ち入りは不可でした。博物館の立地場所が線路沿いにあり、館内の一部の線路は本線とつながっているため、現役の車両を館内に入れて一時的に展示することも可能だそうです。

一通り見終わったあと、今回は京都から藤沢まで、すべて普通列車(快速、新快速含む)で帰りました。8時間かかったけど、高速バスで横浜や東京に行ってから鎌倉に戻るよりは、直接藤沢まで行ける分、実はバスよりも早かったりします。

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青春18切符 1回目

青春18切符のシーズンが始まりましたので、今回は17日、関西に行ってきました。
前夜22時20分にnotteco相乗りで乗せて頂き、大阪へ向けて出発。
途中までは順調でしたが、AM3時頃、名阪国道で大型トラックなど4台が絡む事故の影響を受け、なんと1時間20分の間、1メートルも進まなくなってしまいました。レッカー処理が終わってやっと通ると、大破した大型車2台がありました。シャーシとコンテナが分離し、キャブが完全に潰れてましたが、乗員はどうなったのでしょうか?心配です。



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AM7時前に大阪駅に到着し、まず環状線の201系に乗車。
JR東日本の201系は2010年で全車廃車になりましたが、JR西日本でも具体的な置き換え計画が発表されており、乗れるのも今のうちです。関東では「ジェット音」で有名だった201系ですが、そもそもジェット音が発生する原因は、モーターが電蝕によって不良状態になるからだそうで、JR西では独自の改修によって電蝕を解消したようで、ジェット音を発する車両はいません。
リニューアルされて側面と内装は全然違うものの、モーター音とチョッパ音は中央線で乗った201系とまったく同じなので、懐かしいですね。


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天王寺から阪和線の103系に乗車。こちらも置き換え計画がすでに発表されており、乗れるのはあと1年くらいと思われます。
ひたすら田舎の風景を走って、和歌山を目指します。



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和歌山からは、万葉まほろば線直通の奈良行105系に乗車。元常磐線の車両で、いつ廃車になってもおかしくない高齢の電車ですが、103系の一掃計画が発表される一方で、こちらはまだ置き換え計画は発表されてません。戸袋窓が残ってる原型を留めた103系はここだけなので、少しでも長く活躍して欲しいですね。
和歌山のみかん畑と、田舎の山々と風景を眺めながら、単線をゆっくり進んで行きました。かつては都会通勤電車の代名詞だった103系は、今では地方で細々と走る田舎電車と化してます。


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奈良に到着後、食事にしようと駅周辺に出ると、ちょうどお祭り日だったらしく、屋台が多数並んでました。という事で、屋台でたい焼きとイカ焼きとクレープでお腹一杯にしたあと、奈良公園に向かいます。



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12月17日ですが、もみじの紅葉が鮮やかに残ってました。関東ではとっくに終わってるのに、奈良の紅葉は遅いのでしょうか。



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そして、奈良公園に来た目的は、これです。



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このモフモフの毛並みを触るために、来ました。w
基本的に愛想は悪く、手ぶらで近づくと避けられますが、、シカせんべいさえ持っていれば、いくらでも寄ってきます。嫌がってるのを無理に触ると噛まれるらしいので、ご注意を。



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このあと、奈良線の103系で京都に向かいます。



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ちなみに、関西の103系は上下分割窓でも、オリジナルのユニット窓(下段固定、上段下降)に改造されたものが多いですが、一部のクハとサハのみ原型を保ってるものがあり、写真のように全開にできました。幸い周囲に誰もいなかったので、撮れた写真です。

このあと、予定では名古屋まで新快速で移動したあと、新幹線で帰る計画だったのが、スケジュールが大幅に遅れてしまったため、京都から新幹線に乗ることにしました。痛い出費だったけど、さすが速いですね。

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103系電車に乗りに行く

103系電車は、1963年に山手線へ投入したのをはじめ、京浜東北線、中央線、総武線、埼京線、横浜線、常磐線、武蔵野線、京葉線、南武線など、首都圏をはじめ全国の都市通勤路線に大量投入されました。地獄の通勤ラッシュとともに、乗り心地の悪さとモーター音のうるささで通勤客には嫌われ者ですが、私のようなオタクには人気車種です。
JR発足時も大量に残っていたものの、JR東日本では2006年までにほぼ引退し、諸事情で残っていた仙石線用も2009年で引退して全滅したわけですが、JR西日本では車体をリフォームしているものの、未だ現役で稼働しています。
かつて東京じゅうを大量に走っていた103系については、個人的に思い入れがあるので、それ目的にわざわざ大阪まで行ってきました。

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新大阪から223系で大阪まで来て、最初に大阪環状線の103系に乗車。
車体は内外とも徹底的にリフォームされていて原型をとどめておらず、原型しか乗ったことない関東人の私にとっては、どこかの私鉄車両にしか見えませんが、ドアだけは原型の国鉄タイプでした。走り出してモーター音をきいて、やはり103系なんだと実感。いくら車体をリフォームしても走行音は103系そのものでした。
大阪環状線は、東京で言うところの山手線みたいなものですが、その都心を走る路線で、リフォームされているとはいえ未だに103系が走っているのは驚きです。しかし、ようやく来年から新型車両への取り換えが決定したようです。山手線103系の引退から30年近く経ってますが・・・。



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次に新今宮から大和路線に乗車。103系が快速運用につくことは滅多にないようですが、幸いにも快速に入っているところを乗れました。こちらは前面は原型を留めており、側面も環状線ほどの徹底的なリフォームはされておらず、ドアの他に窓枠が原型を保ってました。しかし、戸袋窓をつぶしているため、やはりオリジナルの103系とは程遠い。



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王寺駅で見かけた一コマ。関東でもかつて京浜東北線(青)と横浜線(黄緑)の103系が色違いで連結したことがあったそうですが、こちらの連結は謎です。



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奈良駅から桜井線の2両編成ワンマン列車に乗車。和歌山線直通の和歌山行きです。
こちらは105系になりますが、103系からの改造で、外見で大きな変化はなく、モーターも種車から流用されたため、走行音も変化ありません。ただし、機器類は変わってしまったものがいくつかあり、例えばMGや空気圧縮機の音が103系とは異なります。
改造元となった103系は、かつて常磐線を走っていたもので、千葉の松戸電車区から遥々と引っ越してきたわけです。連結面のプレートを見ると、昭和45年製造で、昭和59年に吹田工場で105系に改造された旨が記載されています。んー、つまりは年齢的に45歳で、そのうち元の103系として常磐線を走ったのは14年程で、そのあと105系に改造されて和歌山に転属した後のほうが遥かに長いということですね。



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車体は内外ともオリジナルを保っています。103系が全車リフォームされてオリジナル車が残ってないのに対して、105系は103系譲りの車体をそのまま残しているのです。



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運転台は常磐線時代から変わらないようですが、常磐線時代に直通先で必要だった速度計を囲っているATCは使用しないため、そのまま封印するかのように埋められています。



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無人駅が多い地方交通線なので、運賃箱があります。



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橋本駅での一コマ。神奈川にも橋本駅があって、1970年代までは横浜線と京浜東北線で車両を共有していたため、ブルーの103系が横浜線で運用されて橋本駅に来ていたそうです。それを再現するかのような一コマが撮れました。もちろん、これは和歌山線の橋本駅です。 


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和歌山線のどっかの駅で降りて、近くの和食店で食事にしました。


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そのあと、和歌山までは行かず、反対方向の列車に乗り換えて王寺に戻り、大和路線の201系で難波まで行き、心斎橋のカプセルホテルで一泊。ここでデジカメの電池が切れる。
翌日は近鉄奈良線で一気に奈良まで行き、奈良公園の鹿をさわったあと、JR奈良線の103系に乗車。
しばらくは田舎の風景が続きますが、京都に近づくと車内が混みだします。終点の京都までは行かず、二つ手前の伏見駅で降車。駅舎は稲荷伏見大社と直結しているため、建物のあちこちが赤色に塗られています。駅舎は昭和10年築とかなり古いですが、それよりもレアなのは明治12年築のランプ小屋で、これは当駅が東海道線の駅だった頃、蒸気機関車に引かれる木造客車の車内照明として使う灯油ランプを保管する場所だったそうです。夜になると小屋からランプを出して、到着する列車に設置していたそうです。

| 鉄道 | 20:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山手線E235系、初乗車

昨年11月に営業運転を開始した直後に、不具合から一日限りで運用を離れてしまった山手線の新型車両E235系ですが、3月から運転を再開して、私は昨日やっと乗ることができました。

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連結扉(貫通扉)の上にも液晶ディスプレイが。



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動力車の台車直上に乗ったものの、モーター音はE233系と比べてもだいぶ静かでした。ギア比がE231系と同じ7.07なので、音的な雰囲気は今までの山手線と変わらないです。
車内は、頭上に沢山の液晶ディスプレイが並んでます。当初は紙の中吊り広告を廃止する予定でしたが、広告業者との取引の都合で、紙の広告も併設されることになりました。
山手線って公式には「やまのてせん」と読むけど、一方で「やまてせん」と呼ぶ人もいるんですね。パソコンではどちらでも変換できるので、どちらも正しいのかな。ネットで調べてみたら、wikipediaに詳しい説明があったので、興味のある人は調べてみてください。

カラーリングは、従来の帯状ではなく出入口ドアを塗るというイメージチェンジはあったものの、色自体は山手線の伝統であるウグイス(黄緑)色を受け継いでます。



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山手線のウグイス色は、1963年に車体全体を黄緑色に塗った103系を山手線に投入したのが始まりで、1985年に2代目として銀色車体に黄緑の帯を巻いた205系を投入、2002年に3代目かつ現在の車両として、同じく銀色車体に黄緑の帯を巻いたE231系を投入、2015年に4代目の新型車両としてE235系が一本だけ投入されてますが、2本目以降はまだ未定で、しばらくは3代目と4代目が共存する見込みです。

山手線は車両取り換えのサイクルが早く、1988年には初代ウグイス色の103系が山手線から引退し、私が生まれてまだ7ヶ月の頃の話しだったので、残念ながら山手線としての103系は実際に見たことはないのですが、JR西日本の奈良線や大和路線には、同じウグイス色の103系が現在も走っており、私もこないだ乗ってきました。写真がそれです。
見てのとおり、お古い電車ですが、現在の山手線カラーのルーツは、ここにあるのです。



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山手線を一周した後は、秋葉原を2時間ほど歩きました。フィギュアとかグッズを見てまわる。

| 鉄道 | 17:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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電車のコンピューターって何ですか?

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3月に新潟の総合車両製作所で1本のみ製造され、半年以上にわたって試運転を繰り返していた山手線の新型車両E235系ですが、11月29日に横須賀線の品川~横須賀で初めて乗客を乗せたツアーを実施したあと、翌30日から山手線で営業運転を開始しました。

私も乗りに行こうと思って12月1日に東京駅で待ち伏せたものの、一向に来ない。
スマホで調べてみたら、前日にブレーキやドアの異常が続出したため、当日限りで運用を離脱したらしく、原因は車両の頭脳に当たる「INTEROS」というコンピューターシステムに不具合があり、当面はプログラム調整のため運行休止だそうです。
なってこったと思いながらも、仕方ないので秋葉原を徘徊してました。

ここで私の知人から受けた、「電車のコンピューターって何?」という質問に回答します。
要は、電車の運行に関するあらゆる動作や情報を、コンピューターが一括して制御するシステムのことです。電車の運転操作はもちろん、空調、行先表示、ドア操作など、あらゆる車載機器をコンピューターが一括して管理、制御しているのです。

国鉄や初期のJR車両は、これらの車載機器を制御するために個別の回線があって、例えば空調やドア操作など、機器ごとに独立した回線系統になっていました。そのため、これらの車載機器を制御するために、個別の配線や機器をいくつも設ける形になり、床下や車体のあちこちに配線や機器を設けなければならず、整備にも手間がかかります。

これらの配線や系統を、可能な限りコンピューターソフトに集約して一括制御できるようにしたのが、TIMSやINTEROSという、車両の頭脳たるコンピューターシステムです。こうすることで配線や機器装置を極力減らし、車両全体を簡素化することでコスト削減ができ、メンテナンスフリー化もできます。

ただし、このコンピューターシステムに異常が出ると、運転操作からドア、空調に至るまで、あらゆる機器類にも影響していまうのが欠点です。今回のE235系がまさにそのケースだったわけです。
ドアの異常だけでなく、ブレーキ操作にも異常が出て、目黒駅をオーバーランしたり、大塚駅では逆に停止位置の1.5メートル手前で止まってしまったそうですが、安全面で最も重要なブレーキ制御に異常が出ると、不安になる人もいると思います。
それについては、通常時に使用する「常用ブレーキ」はコンピューター経由で操作していますが、緊急時に使用する「非常ブレーキ」は、旧来の独立した回線系統で行っているので、どんなにコンピューターが故障しても、非常ブレーキだけはちゃんと作動するように設計されているので心配はありません。
コンピューターで一括制御と言っても、運転そのものは人間による手動運転なので、もし運転士の操作をコンピューターが認識できなくなった場合は、コンピューターと全くつながっていない非常ブレーキを作動させます。
そこは「人間」が判断するので、心配はないと思います。

電車の運転から車載機器まで、ほとんどをコンピューターで一括制御するというのは、15年前に登場したE231系から行われている事ですが、この時点ではTIMSというシステムで、E233系にも使用されています。ちなみに、グリーン車でスイカをタッチして緑ランプが点灯するシステムも利用者なら知ってると思いますが、あれもTIMSが司っています。一度使用したスイカグリーン券が他の列車で再利用できないのは、TIMSが情報を外部に送信するからです。

今回のE235系は新たにINTEROSというシステムになりました。これは外部とのネットワークを強化し、万一の故障が発生した際に故障の内容や機器の状態を外部に送信でき、速やかに応急処置の手配をとることで、早期の運転再開を図ることができるのだそうです。
という事で、鉄オタによる電車の頭脳の解説でした。

| 鉄道 | 22:33 | comments:5 | trackbacks(-) | TOP↑

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鉄道時計

以前から腕時計ではなく懐中時計を使っているのですが、今回新しく購入した懐中時計を紹介します。

2015-11-17 鉄道時計
見た目はフツーの懐中時計ですが、実は列車運行に使われる専用品で、鉄道時計といいます。
セイコー製で27,000円もしました。さすがブランド物ですね。実際に使ってみると、その正確性は本当でした。4日間放置しても0.5秒のズレしかない。



2015-11-17 E531系運転台
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知ってる人は知ってると思いますが、日本のほとんどの鉄道は時刻確認において、運転士が自分の時計を持ち込んで、運転台にセットして使っているのです。
写真を見てもわかりますが、アナログ計器が並ぶ旧型車両はもとより、液晶ディスプレイが並ぶ新型車両でも、運転台には時計を置く専用のくぼみがあって、これは明治の鉄道省から昭和の国鉄、そしてJRと、ずーっと変わらない伝統のようなものです。

鉄道時計自体は明治時代からあったようですが、現在のセイコー製になったのは昭和4年だそうです。当時は手巻き式だったものの、より正確性を高めるため電池式に切り替わり、もちろん私が所有している物も電池式ですが、外見は当時とほぼ変わっていないそうです。
しかし、あくまで業務用なのでアンティークとは程遠く、質実剛健さに徹したデザインとなっています。
運転士さんと同じ時計ということで、鉄道ファンの間でも広く使用されていますが、購入については、普通のお店ではまず在庫していないので、セイコー取扱店で取り寄せるか、通販を使用するかです。

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横浜線の205系

横浜線では2014年2月16日よりE233系電車の営業運転が開始され、これまで活躍してきた205系電車は本年8月までに全車引退する事が決まりました。


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左がE233系、右が205系。


205系は国鉄時代の1984年に量産先行車が登場し、翌年に量産車が登場しましました。民営化後はJR東日本とJR西日本にそれぞれ引き継がれ、現在はJR東日本から引退した一部車両が富士急行に譲渡されたほか、ジャカルタにも中古電車として輸出されました。

私が物心ついた頃は、大船駅が見える丘の上に自宅があり、幼稚園児の頃は高い所から東海道線の113系や211系、横須賀線の113系、京浜東北線の103系や209系、横浜線の205系を眺めていたのを覚えています。ごく稀に京浜東北線のブルー帯を巻いた205系も来ましたね。とにかく、ずーっと丘の上から電車を眺めていました。

当時、幼少の私が眺めていた大船駅を出入りする電車は、2006年までに相次いで引退し、唯一最後に残ってるのが横浜線205系です。しかし、これも今年で全車引退となり、ついに私が幼稚園児の頃に眺めていた通勤・近郊形電車は全滅する事となってしまいました。
ただし、特急形の185系や251系はまだ残ってますがね。

横浜線には205系が28本、在籍していましたが、そのうち1本は山手線→武蔵野線を経て横浜線へ転属してきた編成で、唯一6ドア車を連結していません。もちろんこの転勤族な編成は、横浜線に来たのもたった数年前なので、幼少の私が眺めていたものには含まれてませんが、たまたま通勤で乗ったとき、その1本に当たったので撮影してきました。

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ドア窓が小さいのが、もと山手線の証です。



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このつり革の盗難防止カバーも山手線の名残です。他の編成では見られません。

| 鉄道 | 23:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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しなの鉄道 169系

3月15日をもって、しなの鉄道の169系電車が定期運用を終了するという情報を聞いたので、青春18切符で行ってきました。
この記事は169系の特集ですが、その前にしなの鉄道とは何なのかを説明しておきます。


信越線 しなの鉄道
しなの鉄道とは、JR信越線の軽井沢~篠ノ井間の移管を受けて1997年10月1日に開業した鉄道です。図の通り、もともとは高崎~長野は一本の信越線でしたが、平行する長野新幹線が開業したことでJR東日本は信越線の横川~篠ノ井を廃止しました。廃止された区間のうち、横川~軽井沢はJRバス関東のバスで運行することになり、軽井沢~篠ノ井はしなの鉄道によって運行されることになりました。これによってJR信越線は途中区間で分断され、現在は長野県と群馬県に信越線が別々に存在する形になっています。
しなの鉄道と言っても、駅や線路の設備はJR時代のものをそのまま使用し、車両もJR東日本から115系と169系を譲り受けて運行しています。で、今回は引退直前の169系の記事です。



クハ115信越線
藤沢から高崎まで湘南新宿ラインのグリーン車で移動、そこから信越線115系湘南色で横川へ向かいました。横川方面へは上り坂が多いですが、この2M2T編成では加速が低いため、勾配でノッチを入れる時間が多かったです。


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横川~軽井沢は、信越線時代はJRで日本一の急勾配がある「碓氷峠区間」として有名でした。この急勾配は電車が自力で上れないため、専用の機関車「EF63形」の補助を受けて走行するという特殊な区間でした。それ故に運行コストも膨大なもので、運行するのも大変、維持するのも大変だったらしいです。現在は鉄道としては廃止され、バス輸送に切り替わりました。写真がそのバスですが、これまた珍しい車種ですねw
日産ディーゼルのKL-UA452TANです。UA452系の12M仕様ですが、福岡の西鉄バスにしか存在しないものだと思っていたので、こんな所で乗れるとは思ってもませんでした。ミッションは6MTですが、エンジン音は直結5MT車と同じです。
これで横川から軽井沢まで移動しましたが、当日は169系目当てと思われる鉄道ファンが殺到して一気に満席となり、乗客の積み残しが発生しました。俺は幸いにも乗れましたが、補助席までビッチリ使用してスンゴイ狭いし暑いし最悪でした。でも積み残された人は、次のバスまで2時間近くあるし、もっと最悪だったでしょうね…。


クハ169-27前面
軽井沢にて、ようやく今回の主役であるしなの鉄道169系電車にたどり着きました。
写真はクハ169-27でS51編成です。2M1Tの3両編成です。かつてはしなの鉄道全線で運行され、さらにJR信越線に直通して長野まで行く運用もあった169系ですが、現在は軽井沢~小諸だけの限定運用になっています。



クハ169-27運転台側デッキ
クハの運転台側のデッキ仕切りは、窓があるので客席⇔デッキが見通せるほか(言い換えれば丸見え)、客席から直接乗務員室が見えます。他のデッキ仕切りは窓がなく、扉もスモークガラスなので客室⇔デッキは見えませんが、編成中このデッキ仕切りだけなぜか両側に窓がついています。



クハ169-27運転台
クハ169-27車内1
運転台側デッキから客室



クハ169-27車内2
上記写真は全てクハ169-27です。



クモハ169-1前面
こちらは反対側のクモハ169-1。隣りのモハ168-1とともに昭和43年8月21日に製造されたので44歳、俺よりも19コ上です。w 復路ではこの車両に乗りました。



クモハ169-1外見1
クモハ169-1運転台側デッキ
クモハの運転台側デッキは、クハと違って窓はないので見通せません。



クモハ169-1運転台
クモハ169-1運転台



モハ168-1外見
こちらは中間車のモハ168-1。往路はこの車両に乗りました。



モハ168-1デッキ
モハ168-1妻面窓
編成内で唯一、連結面に窓があります。(モハ)



モハ168-1座席
座席は全席ボックスにする形で固定されてますが、かつては回転式だったようで、下を覗いてみると回転機構みたいな作りになっていました。リクライニングはできます。



モハ168-1デッキ仕切り
モハ168-1車内1
モハ168-1車内2
モハ168-1車内3


動画もあります。
クモハ169-1 走行音 車内風景



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帰りのバスはブルーリボンシティの2ステップ仕様でしたが、シフトレバーはロッド式の棒レバーでした。教習車じゃあるまいし、この年代で棒レバーは非常に珍しいw


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横川駅は、現在は信越線(群馬)の終着駅ですが、かつて軽井沢まで繋がっていた線路は基本的にそのまま残っていて、大半は鉄道文化村が管理していますが、文化村と横川駅の間は写真のように線路上を直接アスファルトで固めたようで、路面電車の線路みたいになっています。フランジ部分もアスファルトで埋められてるので実際に走行はできませんが、一応は駅と文化村がつながっています。



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横川駅の、かつて軽井沢方面に向かう列車の番線と思われますが、現在は駐車場です。


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鉄道文化村



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鉄道文化村の園内は、かつて信越線を走った多くの車両が綺麗な状態で展示されています。園内にある線路は、かつて信越線の「碓氷峠区間」そのものなのですが、現在は園内専用の遊具列車が運行されています。線路は軽井沢まで一応繋がっているので、この遊具列車を実際の旅客鉄道に格上げして、横川~軽井沢を2007年までに復活させる計画があったそうですが、挫折したようです。


クハ107信越線
信越線の復路は107系が来ました。今日は115系、169系、107系と乗ったので、MT54電動機を色々なギア比で回した音がきけました。w

クハ107運転台
ついでにクハ107運転台

高崎から湘南新宿ラインのグリーン車で帰りました。

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東武6050系電車

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前記事の足利でペーパードライバー教習にて、浅草から足利まで東武線を乗り継ぎましたが、写真の6050系には前々から興味がありました。
昭和38年に登場した4ドア通勤仕様の8000系をベースに、2ドア長距離仕様で作られたのが6000系です。8000系、6000系共にフロントデザインはお揃いの姉妹車でした。
8000系は現在も東武の最古参車として運用されていますが、6000系はサービス向上のため昭和60年に新しい車体に載せ替えられ、6050系となりました。車内設備はもちろん、8000系とお揃いだったフロントデザインも一新されました。そのあと8000系も追従するように6050系類似のデザインに一新され、現在も姉妹車である事には変わりないようです。


6000 8000
左が6000系で右が8000系。このように登場時は同じスタイル。


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昭和60年に6000系が新しい車体に載せ替えられ6050系(左)となったが、そのあと8000系(右)もフロントデザインだけ6050系類似のデザインに一新。



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8000系は野田線で乗る機会が非常に多かったんですが、今回初めて6050系に乗りました。
主電動機、歯車比、台車などの足回りは両者とも共通なので走行音も同じですが、4ドア通勤ロングシートと2ドア長距離クロスシートのギャップは大きいです。
6050系は東京の浅草から福島の会津高原までの長距離を運行するので、クロスシートも居住性に配慮したものとなっています。国鉄の近郊型電車よりもピッチや足元スペースが広く取られています。


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6050系はクハ+クモハの2両編成を基本にしているので中間車はありません。、これら2両編成を連結して4両編成、6両編成で運用します。クモハ側の車端部はロングシートです。


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クハ側の車端部にはトイレが付いてます。


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そして足利駅につくと、ご当地アニメ?
調べたところ、これは足利市の萌えおこし企画という事で地元から発信されたアニメです。背景に見える河原は足利駅から近くにあり、ペーパー教習でお世話になった足利自動車教習所の近くにも繋がっています。それが下の写真で、川は見えませんが河原になっています。
足利自動車教習所1


| 鉄道 | 23:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【青春18切符1日目】飯田線119系と中央線115系

3月4日、初めて青春18切符を使って飯田線全線を制覇しました。

飯田線は、半年前までは国鉄119系電車が主力でしたが、昨年11月から新型車両313系と、他線から転属の213系による車両置き換えが始まり、119系は3月31日をもって引退する事が決まっています(訂正:ダイヤ改正前日の3月16日をもって営業終了しました)。119系の引退が間近という事もあり、カメラを持った沢山の鉄道ファンが車内にいたり、沿線で撮影していました。


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新幹線で豊橋まで行き、すき家で朝食を取りました。
写真は豊橋駅に入ってきたところで、クモハ119-27とクハ118-19の2両編成です。写真側の車がクモハ119-27。
この電車で豊橋から飯田線の終点である辰野を経由して、さらに中央線の上諏訪まで直通で7時間弱を乗りました。豊橋10時43分発で、519Mです。
本当は辰野→豊橋という方面で乗りたかったのですが、すでに119系の数が相当減っていて、その方面ではどうしても終電に間に合う運用がなかったため、止むを得ず豊橋→辰野→上諏訪という方面で乗りました。
そのため、クモハが後ろになってしまいました。


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クモハ119の運転台。


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側面は113系に酷似した3ドアですが、車体幅は103系と同じ2800MMで車体下の絞りがありません。


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車体下部の絞りがないので、窓側席は113系よりも足元スペースが広いのです。w
119系は113系と同じ近郊型で、座席、内装、その他の部品も殆どが113系譲りです。
車体は113系と共通点が多い119系ですが、一方で足回りや動力関係は103系譲りなのです。
厳密に言うと、105系をベースにしているのですが、その105系は103系をベースに作られています。
ちなみに103系と105系はオールロングシートの通勤型ですが、119系はトイレ付、セミクロスシートの近郊型です。



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ドアは115系と同じ半自動対応で、飯田線と中央線内では乗客が手でドアを開けなければいけません。
側面のユニットサッシ窓枠や、戸袋窓の作りが103系や113系とは異なり、同時期に製造された117系や201系と同じ形状になっています。
乗客はそれほど多くはなく、混んだのは最初の40分くらいで、あとは終点の上諏訪まで6時間ほど、ボックスシートを一人で占有できました。w

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JR東海は国鉄車の下段窓の開閉機構を封印したため、下窓はあけられません。上段はあけられます。


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とりあえず連結面とその付近です。連結面側に配電盤がある点は113系と似ていますね。


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こちらはクハ側の車両でトイレ付きです。


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119系は2両編成の他に、両側に運転台を設けた1両単体もあります。
この1両と2両編成が連結して3両編成で運転する場合もあるそうです。


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下にはもの凄く透き通た綺麗な川が見えます。ここは山の中、森の中で、ときどき集落があるようなド田舎です。


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沿線には茶畑が多く見られました。


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飯田線の終点である辰野に到着しました。この時点で17時18分。
ここでJR東海の区間が終わり、ここから先はJR東日本、中央線へ直通します。そのため発車メロディーも聞き慣れたJR東日本のものでした。


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17時40分、終点の上諏訪に到着です。
長かったけど景色は綺麗だったし、103系と同じMT55Aモーターの走行音が6年振りにきけたし、ボックスシートにずーっと一人で座ってたし、山の中、森の中、集落の中を通ったし、有意義な旅行をした気分でした。
まぁ、下記の通り、この先も引き続き中央線の八王子まで4時間ほどかけて行くので、また長旅ですが。


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上諏訪駅で駅弁を買い、この甲府行き電車内で晩ごはんとしました。
長野色のクモハ115を先頭とする3両編成ですが、またボックスシートを一人占有できました。


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このまま終点甲府まで乗っても良かったんですが、途中の小淵沢で始発の大月行があるので、それに乗り換えました。
横須賀色のクモハ115を先頭とする6両編成ですが、6両もあるので車内はかなりガラガラでした。
なので、せっかくだから115系の車内も写真とりました。

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写真は全てクモハ115です。


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大月の手前では、雪が少し積もってました。


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クハ115の運転台です。

上諏訪→小淵沢で長野色115系に乗り、小淵沢→大月で横須賀色115系に乗り、大月→八王子はお馴染のオレンジ色E233系という順番で乗り継ぎました。
そして八王子から横浜線、町田から小田急で藤沢に到着し、その時点で23時前でした。



動画もあります。
クモハ119-27 車内風景と走行音

近郊型の車体に103系と同じモーター音ですが、それ以外にも空気圧縮機の音が113系と同じだったり、電動発電機の音は165系など国鉄急行形タイプだったりします。廃車発生品を多用しているため、車両によって搭載する機器に違いがあるらしいです。

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